正答率50→90%|塩野義のAI検索術

伊東雄歩
監修者 伊東 雄歩

株式会社ウォーカー CEO。東北大学卒。MENSA会員、JDLA認定講師、健全AI教育協会理事。生成AI×教育・学習科学を専門とし、2億円超のシステム開発プロジェクトを統括。

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  • 塩野義製薬の社内AI検索の正答率が、50%から90%へ改善した
  • 汎用のRAGでは、質問の意図をくみ取れず半分しか当たらなかった
  • 決め手はAIが自分で検索計画を立てる「モジュラーRAG」の導入
  • 現場が長年育てたExcel台帳を、AIの道具として使わせた点が効いた
  • データ越境の規制も、ルールを作り直して1カ月で監視基盤を構築した

社内向けのAIチャットを入れたのに、「聞いても半分は間違える」と使われなくなった――そんな話を耳にしたことはありませんか。塩野義製薬も同じ壁にぶつかりました。しかし同社は正答率を50%から90%へ引き上げます。何を変えたのかを、順番にほどいていきます。

塩野義製薬の社内AI、正答率が50%から90%へ

2026年8月4日、キーマンズネットが塩野義製薬のAI活用事例を公開しました。

内容は、2026年6月25〜26日に幕張メッセで開かれた「AWS Summit Japan」のセッションを再構成したものです。登壇したのは塩野義製薬 DX推進部の西村亮平氏と、支援したクラスメソッドの丸毛篤史氏です。

発表の中心は、社内文書を探すAI検索システムの改善です。最初は正答率50%程度だったものが、作り直しによって90%まで上がりました

製薬業界は、AIを使うのがとくに難しい業界です。新薬開発の現場には、過去の実験データ、研究結果、各国の法規制に合わせた仕様書が積み上がっています。どれも機密性が高く、外に出せません。

それでも西村氏は「前進を止めない」という方針を貫きました。「守りとはブレーキをかけることではなく、いかに適切にコントロールするかという“ハンドルワーク”です」という言葉が、この取り組みの姿勢をよく表しています。

なぜ「普通のRAG」では半分しか当たらなかったのか

塩野義製薬が最初に試したのは、汎用的なRAG(AIに社内のデータベースを参照させて答えを作らせる技術)でした。

仕組みはシンプルです。質問文でデータベースを検索し、似ている文章を引っ張ってきて、そのままAIに渡して答えを書かせます。

ところが、期待する答えが返る割合は50%程度にとどまりました。西村氏は「ユーザーの質問の意図をシステムが正確にくみ取れなかった」と振り返っています。

「似ている文章」を集めるだけでは足りない

研究者が投げる質問を想像してみてください。

「この薬剤の試験法を、種類をもらさず全部知りたい」。あるいは「2024年4月以降に更新された仕様書だけに絞りたい」。

こうした要求は、単なる類似度検索では答えられません。「網羅する」も「日付で絞る」も、文章の似ている・似ていないとは別の作業だからです。

丸毛氏は、単純な類似度検索では多くのノイズを拾い、ハルシネーション(AIがもっともらしい嘘を作ること)を誘発してしまうと指摘します。関係ない文書が混ざるほど、AIの答えはあいまいになっていきます。

決め手は「モジュラーRAG」──AIが自分で検索計画を立てる

そこで導入されたのがモジュラーRAG(Modular RAG)です。

検索に必要な機能を細かく分けてAIに“道具”として持たせ、AI自身がどう探すか計画を立てて実行する仕組みです。人間の司書が、目的に応じて書庫と索引とデータベースを使い分けるのに近い動き方をします。

処理は大きく4つのステップ

塩野義製薬向けに組まれたシステムは、次の順番で動きます。

  • 質問分析:ユーザーが何を知りたいのかを読み取る
  • 検索計画:どの道具をどんな順番で使うかを決める
  • 検索実行:計画に従って情報を並列で集める
  • 回答生成:集めた情報を統合し、引用付きでまとめる

ポイントは、答えに引用が付くことです。どの文書から取ってきたかが見えるので、研究者は自分で裏取りができます。

精度を押し上げた「3つの道具」

とくに効いたのが、検索実行でAIエージェントが使う3つのツールです。

  • OpenSearchツール:大量の文書を横断的に検索する
  • ファイル精読ツール:特定のファイルを深く読み込む
  • Excelツール:現場の構造化データを処理する

AIは質問の内容を見て、どの道具を使うかを自分で決めます。

さらに重要なのが、その後の動きです。集めた情報で答えが作れるかを自分で評価し、足りなければ検索キーワードを変えたり、別の道具に切り替えたりして探し直します

一発勝負ではなく、納得いくまで探すわけです。この自律的なループ処理が、正答率90%を支えています。

現場のExcel台帳と社内用語がAIの武器になった

この事例でいちばん見習いたいのは、技術より「現場資産の使い方」かもしれません。

塩野義製薬の現場には、担当者が長年メンテナンスしてきたMicrosoft Excelの管理台帳がありました。膨大な実験データや仕様書を人が探せるように整理された、いわば手作りの索引です。

多くの企業では、こうした台帳はAI化の際に「古い仕組み」として脇に置かれがちです。

クラスメソッドは逆の判断をしました。AIエージェントがこの台帳を読み込み、自分でフィルタリングして必要なデータを直接絞り込めるようにしたのです。現場が10年かけて育てた分類の知恵が、そのままAIの精度になりました

社内用語の辞書と業務フローを学習させる

もう一つの仕込みが、前提知識の整備です。

クラスメソッドは現場にヒアリングし、塩野義製薬に特有の専門用語や略語をAI用の辞書としてまとめました。

加えて、「その業務がどんな順序で、何の後に進むのか」という業務フローも学習させています。

この業務知識ベースは4つのステップすべてから参照されます。結果としてAIは、同社の従業員と同じ観点で情報を探せるようになりました。略語だらけの社内文書でつまずくAIとの差は、ここで生まれます。

ほかのRAG事例と何が違う?

社内RAGの精度改善は、日本企業でいくつも報告されています。数字を並べると立ち位置が見えてきます。

DeNAの社内AIヘルプデスク「Findout」は、初期に約50%だった正答率を2025年10月時点で80%まで引き上げました。こちらはAmazon Bedrock Knowledge Basesへ移行し、チャンキング(文書の分割)の最適化とハイブリッド検索、自動評価システムの構築で伸ばしたと公開されています。

LINEヤフーの「SeekAI」は、テスト導入段階で98%という高い正答率を記録したと報じられました。

興味深いのは、出発点がどこも「50%前後」でそろっていることです。素のRAGの限界は、業種を問わず似た場所にあると考えてよさそうです。

分かれ道は「検索の作り込み方」

違いは伸ばし方にあります。DeNAは検索基盤そのものを整えるアプローチ、塩野義製薬はAIに道具を持たせて自律的に探させるアプローチです。

後者はAgentic RAG(AIが自分で判断して繰り返し検索する方式)に近く、精度は高い一方でコストがかかります。

ある海外の試算では、素朴なRAGが1問あたり0.001ドルなのに対し、エージェント型は約10倍で、応答も5秒ほど遅くなるとされています。簡単な質問は軽い経路へ振り分ける設計が広がっているのは、このためです。

日本企業への影響──真似できる3つのポイント

この事例は、規制の厳しい日本企業にとって現実的な手本になります。

まず、正答率50%は失敗ではなく通過点だという点です。そこでやめるか、作り込むかで結果が分かれます。

次に、現場のExcelや紙の運用ルールは捨てる対象ではなく、AIに渡す資産だという発想です。経理でも品質管理でも、担当者が独自に整えた一覧表は必ずあります。

三つめは、パートナーとの組み方です。約1年半にわたる協業について西村氏は「内製に近いアジリティで推進できる今の体制は、ユーザー企業にとって理想的な協業モデル」と述べています。

データを国外に出せない問題をどう越えたか

日本企業が最もつまずきやすいのが、ここです。

最新の高性能AIモデルを使うには、海外のデータセンターで処理するクロスリージョン推論が必要になる場合が多くあります。しかし製薬業界には、世界規模で厳格なデータ保護規制があります。

塩野義製薬は「使えないから諦める」を選びませんでした。AWSの技術仕様とリスクを洗い出し、許容できるリスクの線引きを決め、安全な通信経路と監査ログの取得を整えて、新しい利用ルールを作ったのです。

さらに、全社の生成AI利用状況を見える化するモニタリング基盤をわずか1カ月で構築しました。クラスメソッドからエンジニアが入り、両社で実務対応と検証を同時に進めた結果です。

ちなみにAmazon Bedrockには、東京・大阪リージョン間だけで処理を回す国内クロスリージョン推論もあります。データを国内に閉じたい企業には、こちらも選択肢になります。

よくある質問(FAQ)

Q1. RAGとモジュラーRAGは何が違うのですか?

普通のRAGは、質問文で1回検索して、出てきた文章をそのままAIに渡します。モジュラーRAGは検索機能を複数の道具に分け、AI自身がどれをどう使うか計画して実行します。足りなければ探し直せる点が大きな違いです。

Q2. 正答率90%というのは、どんな基準の数字ですか?

今回公開されているのは講演で示された成果値で、評価データセットの詳細までは明らかにされていません。自社で導入する際は、自分たちの業務質問で評価セットを作ることが前提になります。DeNAの事例でも、自動評価システムの構築が改善の土台になっています。

Q3. 中小企業でも同じことはできますか?

丸ごと同じ構成は重すぎますが、考え方は流用できます。社内用語の辞書を作る、既存のExcel台帳をAIから読めるようにする、質問の種類ごとに検索方法を変える。この3つだけでも精度は変わります。

Q4. エージェント型にすると運用コストは上がりますか?

上がります。AIが複数回考えて検索するため、1問あたりの費用は素朴なRAGの数倍から10倍程度になるとされています。簡単な質問は軽い処理に流し、複雑な質問だけエージェントに任せる振り分けが現実解です。

Q5. どのくらいの期間で構築できますか?

塩野義製薬とクラスメソッドの協業は約1年半に及びます。ただしAI利用状況のモニタリング基盤に限れば1カ月で完成しました。対象を絞れば、短期間で形にできる部分もあります。

まとめ

  • 塩野義製薬は社内AI検索の正答率を、50%から90%へ引き上げた
  • 汎用RAGは質問の意図をくみ取れず、50%程度で頭打ちになっていた
  • モジュラーRAGにより、AIが検索計画を立てて自律的に探すようにした
  • OpenSearch・ファイル精読・Excelの3つの道具と、再検索のループが精度を支える
  • 現場のExcel台帳と社内用語辞書という「人の資産」がAIの武器になった
  • データ越境の規制は、ルールを作り直し監視基盤を1カ月で整えて乗り越えた

まずは自社の社内AIに、現場でよく出る質問を20個投げて正答率を測ってみてください。そこが改善の出発点になります。

参考文献