- 東京地裁が2026年9月30日、「人の声も肖像と同じくパブリシティ権の保護対象になる」と初めて判断しました
- 津田健次郎さんがTikTok運営会社に求めた動画188本の削除請求は、動画がすでに消えていたため棄却されました
- 原告側は「当初の目的は完全に達成した」として控訴しない方針です
- 2026年8月の法務省の解釈指針に続き、裁判所も「声は権利」と認めたことで、AI声まね動画の違法性がはっきりしてきました
- 米国では連邦レベルの「NO FAKES法案」が審議中で、日本は判例と指針で先行する形になっています
「請求棄却」なのに、原告側は「目的は完全に達成した」と笑顔を見せました。そんな一見ちぐはぐな判決が、AIで声をまねされる時代の大きな転換点になりそうです。この記事では、判決の中身と、声優・クリエイター・一般のSNSユーザーにとって何が変わるのかをわかりやすく解説します。
何が起きた?津田健次郎さんAI声訴訟の判決
東京地裁「声は人格の象徴」
2026年9月30日、東京地裁は声優・俳優の津田健次郎さんが起こした訴訟で判決を言い渡しました。
判決は「人の声は、人の肖像と同様に個人の人格の象徴」だと位置づけました。
そのうえで、声が商品の販売などを促す「顧客吸引力(お客さんを引きつける力)」を持つ場合、その力を利用する目的で無断使用すればパブリシティ権の侵害にあたると示しました。
原告代理人の平野敬弁護士は「明示的にパブリシティ権の射程内に声が収まるとした判決という意味では、これが初めてになるだろう」と話しています。
訴えられていたのはTikTok運営会社
問題になったのは、TikTokに投稿された188本の動画です。
氏名不詳のアカウントが2024年7月から2025年9月にかけて、津田さんの声をAIでまねたナレーション付き動画を投稿していました。テーマは都市伝説やオカルト、雑学が中心です。
動画の平均再生回数は約147万回。フォロワーは21万人を超え、投稿者は月50万〜75万円の収益を得ていたとされます。
提訴の経緯は、当サイトの過去記事「津田健次郎、AI声模倣でTikTok提訴|偽動画188本の波紋」でも詳しく紹介しています。
なぜ「棄却」なのに原告は満足しているのか
削除すべき動画がもう存在しなかった
裁判所が請求を退けた理由は、とてもシンプルです。
投稿者は2026年5月29日に、自分でアカウントを削除していました。30日以内に復旧の申請がなかったため、動画データは6月28日の経過をもってサーバーから消えたと認定されました。
つまり「消してほしい」と求めた対象が、判決の時点でこの世に残っていなかったのです。すでにない動画を消す義務は運営会社に生じない、というのが棄却の理屈です。
お金ではなく「声の権利」を問う裁判だった
津田さん側は、最初から損害賠償を請求していませんでした。「金銭を目的とするものではない」という立場です。
平野弁護士は「アカウントごとすべての動画が削除されたので、当初の目的は完全に達成した」と説明し、控訴しない方針を示しています。
実はこの判決、形式上は負けでも中身は大きな前進です。裁判所が「声も守られる」と理由の中で明言したことで、今後の同じような裁判の物差しになるからです。
「声のパブリシティ権」とは何か
法律に書かれていない、判例で育った権利
パブリシティ権とは、有名人の名前や顔などが持つ「集客力」を、本人だけが商売に使える権利のことです。
日本の法律に条文はありません。裁判の積み重ねで形づくられてきた権利です。
代表的なのが、2012年2月2日の最高裁判決(ピンク・レディー事件)です。このとき最高裁は、肖像などを「専ら顧客吸引力の利用を目的として」使う場合に侵害になると整理しました。
ただし、これまで対象は主に「氏名」や「肖像」でした。声がこの枠に入るかは、はっきりしていなかったのです。
著作権では声を守れない理由
「声なら著作権で守れるのでは?」と思ったことはありませんか?
著作権法が守るのは、録音された音源や演技そのものです。声の質や話し方のクセは対象外とされています。
AIがゼロから合成した「そっくりな声」は、元の録音をコピーしたわけではありません。だからこそ、パブリシティ権という別のルートが重要になっていました。
法務省の指針と今回の判決はどうつながる?
今回の判決は、国の動きと足並みがそろっています。
法務省は2026年4月17日に有識者検討会の設置を発表し、4月24日に初会合を開きました。7月13日の会合では、声も肖像と同じくパブリシティ権の保護対象になると明記した指針の原案が示されています。
そして8月、報告書「生成AIによるパブリシティ権侵害等に関する解釈指針」が公表されました。声優らの声に似せたAI動画を収益目的でSNSに投稿する行為は、侵害にあたり得るとの見解も盛り込まれています。
ただし、指針には法的な拘束力(守らせる強制力)がありません。今回の判決で、行政の考え方に司法のお墨付きが加わった形です。検討会の詳しい流れは「法務省『声も権利』|無断AI音声に賠償請求へ」で解説しています。
海外との比較|米国・英国はどう守っている?
米国:州法で先行、連邦法は審議中
米国では、声を守るルールが州ごとに整いつつあります。
ニューヨーク州の裁判所は2025年7月、声優2人がAI音声企業Lovoを訴えた「Lehrman v. Lovo」事件で、州のパブリシティ権に基づく請求を認めて審理を続けると判断しました。同州法は「名前・肖像・声」の無断商用利用を禁じています。
連邦レベルでは、声や姿のAI複製を規制する「NO FAKES法案」が2026年5月に再提出されました。6月18日には上院司法委員会を全会一致で通過し、本会議での審議を待っています。
英国・業界団体:契約で歯止め
英国では2026年8月、俳優80人が「声の所有権」を求める声明を出しました(関連記事)。
米国の俳優組合SAG-AFTRAも、ゲーム会社との交渉で「事前告知・書面同意・対価の支払い」をAI複製の条件として勝ち取っています。
整理すると、日本は「判例+行政指針」、米国は「州法+連邦法案」、欧米の業界は「労使契約」という3つのルートで声を守ろうとしています。
日本のユーザー・企業への影響
「似ている声」で稼ぐ動画は危険ゾーンに
TikTokやYouTubeで、有名声優そっくりのAIナレーションを見かけたことがあるかもしれません。
今回の判決で、こうした動画を収益目的で投稿すれば権利侵害になり得ることがはっきりしました。「友人の声を学習させただけ」という言い訳も、聞き手が本人だと感じる声なら通りにくくなるでしょう。
3つのシーンで考える
ある副業クリエイターが、雑学動画に人気声優風のAI音声を付けて投稿していたとします。再生数が伸びて広告収入が入るほど、「顧客吸引力を利用した」と判断されやすくなります。今のうちに、自分の声やライセンス済みの音声に切り替えるのが安全です。
次に、ゲーム会社の音声担当者を想像してみてください。これまでは「AIで声優っぽい声を作れば出演料を節約できる」と考える人もいました。今後は、本人の書面同意と対価の設計が欠かせなくなります。
最後に、プラットフォーム側です。今回は運営会社の責任まで踏み込んだ判断は出ていません。それでも、削除請求の窓口や「AI生成音声」ラベルの整備は、各社にとって急ぎの課題になりそうです。
残された課題
一方で、今回の判決で決着しなかった点もあります。
まず、「どこまで似ていたら侵害か」という類似性の基準です。原告側は複数の深層学習モデルで音声を比べるなどの証拠を出しましたが、動画が消えたため具体的な線引きは示されていません。
次に、投稿者が匿名のまま消えてしまう「いたちごっこ」の問題です。平野弁護士も「いたちごっこになりがち」と認めています。
さらに、有名人ではない一般の人の声がどこまで守られるのかも、今後の課題として残ります。
よくある質問(FAQ)
Q1. 津田健次郎さんは裁判に負けたのですか?
形式上は請求棄却ですが、理由は「動画がすでに消えていたから」です。裁判所は声がパブリシティ権で守られると認めており、原告側は目的を達成したとして控訴しない方針です。
Q2. AIで作った声まね動画を個人で楽しむのも違法ですか?
今回の判断は、声の顧客吸引力を利用する目的の無断使用が対象です。収益化していない私的な利用がすぐ違法になるわけではありません。ただし、公開や収益化をすると侵害と判断されるリスクが高まります。
Q3. 有名人でない一般人の声も守られますか?
パブリシティ権は「集客力」がある人の権利なので、一般人には当てはまりにくいと言われています。ただし、法務省の指針は声を「みだりに利用されない権利」の対象にも含めており、別のルートで守られる可能性があります。
Q4. AI音声サービスを仕事で使っても大丈夫ですか?
サービスが用意した声や、権利処理済みの声を使うなら基本的に問題ありません。特定の有名人に似せた声を作る場合は、本人や事務所の書面同意を取るのが安全です。
まとめ
- 東京地裁が2026年9月30日、声もパブリシティ権の保護対象になると初めて判断した
- 動画188本は投稿者が自ら削除済みだったため、削除請求は棄却された
- 原告は損害賠償を求めておらず、控訴しない方針
- 8月の法務省指針に続き、司法も「声は権利」と認めたことで収益目的のAI声まねはリスクが明確になった
- 類似性の基準や一般人の声の保護は、今後の課題として残った
AI音声を使って動画や作品を作っている人は、使っている声の出どころと権利処理を今一度確認しておきましょう。
参考文献
- 「声」もパブリシティー権の保護対象に 津田健次郎さんのAI声模倣訴訟で東京地裁が判断(ITmedia NEWS)
- 津田健次郎さんの「声」を生成AIで無断模倣、東京地裁が「パブリシティ権」の対象と初判断(弁護士ドットコムニュース)
- 声にもパブリシティー権、初の司法判断 津田健次郎さんの請求は棄却(日本経済新聞)
- 「声の権利」国が指針明記へ AIで無断生成が横行(熊本日日新聞)
- New York Court Tackles the Legality of AI Voice Cloning(Skadden)
- NO FAKES Act Passes Senate Judiciary Committee(Recording Academy)
