- 小田原の老舗梅干し店「ちん里う本店」が、Claudeで自社の業務ツールを次々に自作している
- 作ったのは商品規格書の自動生成、贈答履歴メールの一括送信、梅干しの製造管理ポータルなど
- 1案件に2時間かかっていた出荷手続きの書類作成が自動化された
- 使っているのはチャット版のClaudeだけ。「コードをコピペできる形で出して」と頼むだけ
- 成功のカギは数年かけたデータ整備と、AIに「読み取り権限しか渡さない」設計
「AIを使いたいけれど、うちにはエンジニアがいない」。そう思ったことはありませんか。神奈川県小田原市の梅干し専門店が、その常識をひっくり返しました。155年続く老舗が、チャットとコピペだけで自社専用のシステムを作り上げたのです。しかも作ったのは、ITエンジニアではない常務取締役でした。
155年の老舗梅干し店が、AIで自社ツールを作った
舞台は小田原駅前にある「ちん里う本店」です。
創業は1871年。小田原城で”最後の料理長”を務めた人物が始めた、梅干しの専門店です。梅や紫蘇(しそ)を使った漬物やお菓子を作り、百貨店などに販路を広げてきました。
今この会社の経営を担っているのが、ドイツ出身のゾェルゲル・ニコラ常務取締役です。一時は経営難に陥った同社を、海外展開で立て直した人物です。ECサイトの取扱商品は約8000点を超えています。
そのゾェルゲルさんが今いちばん力を入れているのが、AI活用です。
同社がAnthropic(アンソロピック)の生成AI「Claude(クロード)」を導入したのは2026年4月のこと。ITmedia ビジネスオンラインの取材で、その中身が明らかになりました。
レジスター、クラウド、そしてAIへ
同社の店舗の隅には、古いレジスターが置かれています。
1900年代初頭に実際に使っていたもので、登録できる最高額は99円だったそうです。
そこから100年あまり。今では販売データをクラウド型のERP(会社のお金やモノの流れをまとめて管理するシステム)に集約し、そのデータをAIが読み取っています。老舗の歴史は、そのまま技術の進化の歴史でもあるわけです。
何を作った?「梅干し職人でも使える」自作ツールたち
ゾェルゲルさんは非ITエンジニアです。それでもClaudeと対話しながら、便利ツールを次々に自作しています。
商品規格書を自動で作るツール
最初に作ったのは、商品情報をまとめた「商品規格書」のツールでした。
テンプレートに沿って、必要なデータを自動で入力してくれる仕組みです。
この書類づくりは想像以上に手間がかかります。日本語版と英語版の両方を用意し、原材料ごとに注釈書も作る必要があるからです。商品数によっては、1案件の出荷手続きに2時間を費やしていたといいます。
贈答履歴メールをボタン1つで
同社は毎年、顧客一人一人に案内メールを送っています。
「昨年のお中元・お歳暮では、誰に何の商品を贈りました」という履歴を知らせる内容です。
これまでは贈答履歴を手入力し、商品価格が変わればそのつど反映していました。作った側の負担は相当なものです。
今は従業員がボタンを押すだけで、メール送信まで一括で完了します。
マウスの使い方から教えていた職人のために
いちばん象徴的なのが、「梅干しの製造管理ポータルサイト」です。
同社の梅干しは10年漬けまであり、品種や漬けた年数ごとに管理しなければなりません。
ところが、梅干し職人にはPC操作が苦手な人が多い。ゾェルゲルさんは、ある職人にマウスの操作方法から説明したこともあるそうです。
「メニューの3番目を開いて」「フィルターを設定して」。そんなお願いは、その人にとって高すぎるハードルでした。
そこで作ったのが、数カ所をクリックするだけで必要な情報を入力できる画面です。職人がシステムに合わせるのではなく、システムを職人に合わせた形になります。
段ボールの積み忘れをなくした出荷ポータル
出荷まわりの業務も効率化しました。
「商品の出荷状況を可視化するポータルサイト」では、運送計画や出荷のフェーズを視覚的に表示します。
倉庫から搬出する商品を選ぶと「買い物かご」に入るという、ネット通販そのままの操作性にしました。
積み込みが完了すると画面に反映されるため、「段ボールの積み忘れに出荷後に気付く」というミスがなくなったといいます。どのパレットのどの段ボールに何が入っているかを示す書類も、一括で出力できます。
この他にも、取引先別の卸売価格表を出力するツール、「大安」などの六曜を考慮した売り上げ予測ツールなどを多数開発しています。「金額あり・なしの領収書を2つ出力してほしい」といった顧客からの細かい要望にも、かかる手間を大幅に減らせたそうです。
なぜ小さな会社ほどAI自作が効くのか
ゾェルゲルさんの言葉に、中小企業の本音が詰まっています。
「当社のように小規模な会社は、システム開発会社に依頼することが予算的に難しい。AIのおかげでプログラミングコードを格安で生成でき、必要な機能を自分たちで開発・実装できるようになりました」
効果は現場の使い勝手にも表れました。
ERPの画面をそのまま見せると、商品マスターには入力欄がずらりと並びます。製造部門の人が更新すべき項目はごく一部なのに、それを探すだけでひと苦労です。
ポータルサイトを間にはさむことで、こう伝えられるようになりました。「あなたが更新すべき項目しか表示されません」「入力したら自動保存されます」「データが壊れる心配はありません」。
すると従業員から「こんな機能がほしい」という要望が次々に出てきたそうです。
外注していたら、細かい追加要望に全部応えるのは難しいでしょう。AIなら何度でも直せるので、少しずつ改善を重ねられました。
成功のカギは「データ整備」と「読み取り専用」
ここが最も重要なポイントです。
同社が成果を出せたのは、AIを高度に使いこなしたからではありません。
ゾェルゲルさんは「データがあるからできることが無限大です」と語っています。同社はERP導入から数年間を、データの整備に費やしました。商品の原材料、ラベル情報、サイズなど、あらゆるデータを手作業で入力したのです。
土台が整っていたからこそ、AIが正しい情報を返せるようになりました。
もう一つが権限設計です。
Claudeに渡しているのはデータを取得する権限だけ。書き込みや変更はできません。だからデータが壊れる「リスクはゼロ」だといいます。
ゾェルゲルさんはこう表現しています。
「日本企業は、リスクを好みません。(中略)AIは『スイッチ』ではなく『レバー』です。最初は簡単なことから始めて、徐々にレベルアップすればよいのです」
同社もテンプレートに沿って印刷用ファイルを作るところから始めました。いきなり全社改革をねらったわけではないのです。
Claude Codeも外注も使わない──他の選択肢との違い
意外なのは、使っているツールのシンプルさです。
同社はエンジニア向けのコーディングAI「Claude Code」を使っていません。一般的なチャット版のClaudeに、「◯◯の機能を実装するためのコードを、そのままコピー&ペーストできるように出力して」と頼んでいるだけだといいます。
他の選択肢と比べると、違いがはっきりします。
- システム開発の外注:品質は高いが、中小企業には予算のハードルが高い。細かい修正のたびに費用と時間がかかる
- 既製の業務パッケージ:導入は早いが、10年漬けの梅干し管理のような独自業務にはぴったり合わない
- Claude CodeなどのコーディングAI:開発力は最も高いが、ターミナル操作などITの基礎知識が前提になる
- チャットAI+コピペ(同社の方法):非エンジニアでも始められ、修正も何度でも頼める。ただしデータ基盤の整備が前提
技術的な下支えになっているのが、Oracleが提供する「NetSuite AI Connector Service」です。
これはMCP(AIと外部データをつなぐ共通の規格)にもとづく連携サービスで、ClaudeやChatGPTなど手持ちのAIを自社の業務データにつなげられます。ちん里う本店はこれを使い、商品情報や在庫データ、販売実績をClaudeが参照できるようにしました。
つまり、特別なAIを買ったわけではありません。すでにあるデータへの通り道を作っただけです。
日本の中小企業にとって何を意味するのか
この事例が刺さる理由は、数字を見るとわかります。
中小企業基盤整備機構が2026年3月に公表した調査によると、中小企業のAI導入率は20.4%。導入を検討している企業(18.6%)を足しても、前向きな企業は約39%にとどまります。
導入が進まない理由の上位は、ツール不足ではありません。「具体的な活用場面が分からない」(35.6%)「推進する人材がいない」(32.0%)が中心です。
人材不足は今後さらに深刻になります。経済産業省の試算では、IT人材は2030年に最大で約79万人不足するとされています。
この状況で、ちん里う本店の事例は具体的な答えを示しています。
エンジニアを採用できなくても、自社の業務を最もよく知っている人がAIと対話すれば、必要なものは作れる。むしろ業務を知っている人が作るからこそ、現場で使われるツールになるということです。
自社で始めるなら、この順番
同社のやり方から学べる手順を整理します。
- 1. 印刷物やテンプレートの自動化から始める:失敗してもリスクが小さく、効果がすぐ見える
- 2. AIには読み取り権限だけを渡す:書き込みを許さなければ、データ破損の不安がなくなる
- 3. 現場に見せる画面を絞る:入力欄を必要な数だけにすれば、PCが苦手な人でも使える
- 4. 要望が出たらすぐ直す:AIなら修正コストが低い。使われるツールに育てていける
よくある質問(FAQ)
Q1. プログラミングを知らなくても本当に作れますか?
ちん里う本店のゾェルゲルさんは非ITエンジニアです。チャット版のClaudeに「コピペできる形でコードを出して」と頼み、それを貼り付ける方法で進めています。ただし、貼り付け先となるシステム(同社の場合はNetSuite)と、そこに入っているデータが整っていることが前提です。
Q2. AIが会社のデータを壊す心配はありませんか?
同社はAIに読み取り権限しか与えていません。書き込みや変更ができない設定にしているため、データが壊れるリスクはないとしています。最初はこの「読むだけ」の範囲から始めるのが安全です。
Q3. どのくらいの期間で成果が出ますか?
同社のClaude導入は2026年4月で、数カ月で多数のツールを実用化しています。ただしその前提として、ERP導入後の数年間をデータ整備に充てています。準備期間を含めて考えるのが現実的です。
Q4. 小さな会社でも費用は見合いますか?
ゾェルゲルさんは、システム開発会社への依頼は予算的に難しいと述べたうえで、AIならコードを格安で生成できると語っています。1案件2時間かかっていた書類作成のような定型業務が対象なら、投資対効果は判断しやすいでしょう。
Q5. Claude以外のAIでも同じことはできますか?
NetSuite AI Connector ServiceはMCPに対応しており、ChatGPTなど他のAIも接続できるとされています。ただし連携できるかどうかは使っている業務システム側の対応状況によります。
まとめ
- 1871年創業の梅干し専門店「ちん里う本店」が、2026年4月からClaudeで業務ツールを自作している
- 商品規格書の自動生成、贈答履歴メールの一括送信、製造管理ポータルなどを非エンジニアが開発
- 1案件に2時間かかっていた出荷手続きの書類作成が自動化された
- 使っているのはチャット版のClaudeとコピペだけ。Claude Codeは使っていない
- 成功の土台は数年かけたデータ整備と、AIに読み取り権限しか渡さない設計
- 中小企業のAI導入率は20.4%。止めているのはツールではなく「使い道が分からない」という壁
まずは自社でいちばん手間のかかっている印刷物やテンプレート作業を1つ選び、AIに「この作業を自動化する方法」を相談するところから始めてみてください。

