- 長野県のみそメーカー・ハナマルキが、社員約290人のGemini利用率86%超を達成した
- 推進したのは情報システム部のわずか3人。年間2万時間超の業務削減につながった
- カギは「規定・共有・教育」の3つのK。最初にルールを決め、次に経営陣へ配った
- 総務省の白書では企業の生成AI利用率は86.4%。だが「導入した」と「使われている」は別物
- 首都高の事例と並べると、浸透に効くのは動画研修ではなく対面と上司の理解だとわかる
生成AIを会社で契約したのに、実際に使っているのは一部の社員だけ。そんな話を聞いたことはありませんか。創業108年のみそメーカーが、社員の86%にGeminiを使わせることに成功しました。動かしたのは情シス3人です。何をしたのかを追いかけます。
みそメーカーで起きた「86%」という異常値
舞台は長野県のみそメーカー、ハナマルキです。創業は1918年、2026年で108年目を迎えた老舗です。
この会社が、社員約290人にGoogleの生成AI「Gemini(ジェミニ)」を開放しました。
そして2026年6月時点で、利用率(ログイン率)が86%超という水準に達しています。しかも一時的なピークではなく、その水準を維持しているという点が重要です。
業務削減効果は年間2万時間超と算出されています。290人で割ると、1人あたり年間およそ69時間。1カ月あたり6時間近くが浮いている計算になります。
ここで注目すべきは、推進チームの人数です。ハナマルキの情報システム部はたった3人。専任のAI推進室があるわけでも、外部コンサルに数千万円を払ったわけでもありません。
キーマンズネットの取材に答えたのは、情報システム部長の森香織氏です。同社の取り組みは「3つのK」という言葉で整理されています。
「3つのK」とは何か
3つのKとは、規定・共有・教育のことです。それぞれの頭文字が「K」なので3つのK。順番にも意味があります。
K1:規定 — まず「禁止事項」を先に決めた
ハナマルキが最初に手を付けたのは、機能でも研修でもなくルールでした。
2024年1月、生成AI活用ガイドラインを策定します。中身はシンプルで、個人情報や会社情報の入力を一律で禁止するというものでした。
一見すると後ろ向きに見えるかもしれません。ただ、これが効きます。
多くの会社で生成AIが広がらない理由は、社員が「使ってはいけない気がする」と勝手にブレーキを踏むからです。何が禁止かがはっきりしていない状態は、実質的に全部が禁止と同じ意味になります。
逆に、禁止ラインが1本引かれていれば、その手前は全部使っていい領域になります。ルールは縛るためではなく、安心して踏み込むために引かれたわけです。
K2:共有 — 25人分のライセンスを誰に配ったか
2024年6月、同社はGeminiのライセンスを25人分用意します。290人の会社で25人ですから、1割にも届きません。
問題は、その25枚を誰に渡すかです。
ハナマルキが選んだのは、経営陣と11人の「AIサポーター」でした。ITに強い若手だけに配ったわけではありません。
そして社内で使い方の事例を共有していきます。「こんなことができた」という報告が回覧されると、隣の部署の社員が真似をします。
K3:教育 — 動画を配って終わりにしない
3つ目が教育です。マニュアルを整備し、リテラシー教育を行い、社内講師による勉強会を全4回開きました。
加えて、AIに関するニュースレターを定期的に発行しています。
ここも地味ですが効きます。生成AIは月単位で機能が変わるため、1回研修をやっただけでは知識がすぐ古くなるからです。ニュースレターは、社員の頭の中を最新に保つための仕組みだと言えます。
さらに2025年1月、Google WorkspaceにGeminiが標準搭載されたタイミングで、同社はルールを再整備しています。ライセンスを配る段階から、全社員が最初から使える段階へ状況が変わったためです。
なぜ70代の会長まで動いたのか
ITmediaの記事タイトルにもある通り、この取り組みでは70代の会長までもがGeminiを使うようになりました。
普通、こうした話は逆から始まります。若手が使い始め、現場に広がり、最後に経営層が「よくわからないが良いらしい」と追認する流れです。
ハナマルキはその順番を反転させました。最初の25ライセンスを経営陣に配ったのです。
この設計には現実的な効能があります。上司が使っていないツールを部下が業務時間中に触るのは、思った以上に勇気が要るからです。「あいつは仕事中に遊んでいる」と見られるリスクを、社員は無意識に計算しています。
逆に会長や役員が日常的に使っていれば、その心理的なコストはゼロになります。むしろ使わない方が不自然になります。
ちなみに、経営層を巻き込む重要性は他社の事例でも共通しています。後ほど紹介する首都高のケースでも、局長・部長級を対象にしたワークショップがわざわざ開かれています。
現場では実際に何に使われているのか
数字だけ見ても実感が湧かないので、具体的な使われ方を3つ紹介します。
まずレシピ開発の部門です。ここには過去のレシピや試験結果がPDFで大量に眠っていました。その数、約400件。1件ずつ開いて内容を書き写していたら、それだけで何日も溶けます。
同社ではGeminiにGAS(Google Apps Script。Googleサービスを自動で動かす簡易プログラム)を書かせ、400件のPDFをスプレッドシートに一括変換しました。社内ではこれを「ファイル限界突破」と呼んでいます。プログラムを書けない人が、書けるようになった瞬間です。
次に製造部門です。ここでの使い方が少し意外で、1on1面談の質問づくりに使われています。
部下と月1回話す時間は決まっているのに、何を聞けばいいかわからない。そんな管理職の悩みは製造業に限らずあります。相手の担当業務を入力して質問案を出させれば、面談の質が上がります。効率化ではなく、対話の質を上げる使い方です。
3つ目は営業部門で、見積作成を支援するエージェント(決まった仕事を代わりにこなすAI)が作られています。R&D部門ではRaspberry Pi(手のひらサイズの小型コンピューター)向けのアプリ開発にも使われました。
もちろん、議事録の要約や資料作成といった王道の使い方も日常的に回っています。派手な事例ばかりが並んでいないところに、むしろ現実味があります。
首都高の事例と比べてわかること
社内浸透の成功例として、もう1社よく挙げられるのが首都高です。両者を並べると、効く施策と効かない施策の輪郭がはっきりします。
首都高では、月100回以上Geminiを使う社員が2025年2月の22人から、2026年2月には224人へと約10倍に増えました。月間アクティブユーザーはほぼ100%に達しています。
興味深いのは、最初の一手が失敗している点です。2025年4月に実施した動画形式のDX研修は、視聴完了率が9割を超えました。数字上は大成功です。
ところが調べてみると、研修で紹介した機能がほとんど認知されていなかったのです。見たけれど、頭に残っていなかったわけです。
そこで首都高は方針を変え、対面かつ終日のワークショップに切り替えます。業務で頻繁に発生する作業をハンズオンで扱い、グループ企業を含めて全23回、約500人に実施しました。さらに局長・部長級向けのワークショップも別に開いています。
2社を並べると、共通点が3つ浮かびます。
- 上から巻き込む:ハナマルキは経営陣への優先配布、首都高は管理職向けワークショップ
- 一方通行にしない:動画配信より、勉強会・ハンズオン・事例共有といった双方向の接点
- 続ける仕組みを置く:ニュースレターや複数回開催で、知識の鮮度を保つ
逆に言えば、ツールを契約してマニュアルURLを全社メールで送るだけの導入は、ほぼ確実に失敗します。首都高の視聴完了率9割という数字が、その怖さを物語っています。
日本企業にとって、この86%が意味すること
ここで国全体の数字を見ておきます。
総務省が2026年7月24日に公表した令和8年版の情報通信白書によると、何らかの業務で生成AIを利用している企業の割合は86.4%でした。前年度の55.2%から大きく伸びています。
個人の利用経験率も58.8%で、前年の26.7%から1年で2倍以上になりました。
数字だけ見ると、日本企業はもう十分にAIを使っているように見えます。ただし白書は同時に、「メールや議事録、資料作成等の補助」に生成AIを使っていると答えた割合は日本で46.8%にとどまり、他国と比べて低いとも指摘しています。
つまり、企業として導入はしたが、実務での定着はこれからという会社が相当数あるということです。
ここでハナマルキの86%という数字の意味が変わってきます。同社の86%は「会社として導入したか」ではなく、実際にログインして使っている社員の割合です。同じ86%でも中身がまったく違います。
そして日本企業の大半は中小企業です。専任のAI推進部隊を置ける会社は多くありません。社員290人・情シス3人という規模で結果を出したハナマルキの事例が注目されるのは、まさにそこに理由があります。
予算ではなく順番の問題だった、と読み替えることもできます。
明日から真似できる3ステップ
自社に持ち帰るなら、順番はこうなります。
1. 禁止ラインを1枚の紙にする。「顧客情報と未公開情報は入れない」程度で構いません。細かすぎる規定は誰も読みません。
2. 最初のアカウントを役員に渡す。全社一斉配布より、決裁権のある人が使っている状態を先に作る方が効きます。
3. 事例を回覧する担当を1人決める。ハナマルキのAIサポーターにあたる役割です。専任である必要はありません。
この3つのどれも、追加のライセンス費用を必要としません。すでにGoogle WorkspaceやMicrosoft 365を契約している会社なら、AI機能が標準で含まれているケースも増えています。
よくある質問(FAQ)
Q1. 利用率86%というのは、どうやって測っているのですか?
報道ではログイン率と説明されています。Geminiにログインして使った社員の割合という意味です。「導入企業の割合」を指す統計とは別の指標なので、混同しないよう注意が必要です。
Q2. 年間2万時間削減という数字は信用できますか?
これは同社が算出した数値です。290人で割ると1人あたり年間約69時間で、月に換算すると6時間弱になります。議事録の要約や資料作成の下書きを日常的に任せていれば、非現実的とは言えない範囲でしょう。ただし社内試算であり、第三者が監査した数字ではない点は押さえておくべきです。
Q3. うちは全社員に配る予算がありません。25人分から始めても意味がありますか?
ハナマルキがまさにその形でした。290人の会社で最初は25ライセンスです。重要なのは枚数ではなく配り先で、同社は経営陣とAIサポーターに集中させました。少数配布は、むしろ推進役を明確にできるという利点があります。
Q4. 動画研修は本当に効果がないのですか?
効果がゼロというより、視聴と習得は別物だと考えるのが正確です。首都高では視聴完了率が9割を超えたにもかかわらず、紹介した機能が認知されていませんでした。動画は入口として使い、実際に手を動かす場を別に用意する構成が現実的です。
Q5. 情報漏えいが心配です。まず何をすべきですか?
ハナマルキと同じく、入力禁止項目を先に決めることをおすすめします。加えて、法人向けプランでは入力データが学習に使われない設定になっているかを契約内容で確認してください。個人向け無料版をそのまま業務に使うのは避けるべきです。
まとめ
- ハナマルキは社員約290人のGemini利用率86%超を達成し、年間2万時間超を削減した
- 推進したのは情報システム部の3人。大規模な専任組織はない
- 手順は「規定・共有・教育」の3つのK。最初に禁止ラインを引き、次に経営陣へ配った
- 首都高の事例でも、動画研修は不発で対面ワークショップが効いた
- 総務省白書の企業利用率86.4%は「導入したか」の数字であり、実際の定着率とは意味が異なる
まずは自社の生成AIについて、契約者数ではなく過去1カ月に実際にログインした人数を数えてみてください。そこが本当のスタート地点になります。