この記事でわかること:
- AIが行政の窓口に大量の申請や苦情を送る「agentic flooding」という新しい問題が起きている
- 英国では苦情が2.7倍、米国では5倍に急増している
- 正当な申請とスパムが混在しており、行政側の対応が追いついていない
- 日本でもいずれ同じ問題が起きる可能性が高い
AIエージェントが行政窓口を圧迫する「agentic flooding」とは
世界の行政サービスが、いま新しい問題に直面しています。その名も「agentic flooding(エージェンティック・フラッディング)」。これは、AIエージェント(人間の代わりに仕事をするAI)が行政の窓口に大量の申請や苦情を送りつけることで、窓口が処理しきれなくなる現象のことです。
この言葉を生み出したのは、ベルリンのデジタルガバナンスセンターで研究する博士課程学生のクリス・シュミッツ氏です。同氏の研究によると、11カ国で84件の事例がすでに確認されています。つまり、世界中でこの問題が起き始めているのです。
なぜこれが問題なのでしょうか?それは、行政の担当者が申請を処理する時間が足りなくなり、本当に助けが必要な人への対応が遅れてしまう可能性があるからです。
英国では苦情が2.7倍、米国では5倍に急増
具体的な数字を見ていきましょう。英国の住宅オンブズマン(住宅に関する苦情を受け付ける公的機関)では、2022年に2,600件だった苦情が、2025年には7,000件を超えました。ChatGPTが登場してから、わずか2〜3年で2.7倍に増えたのです。
米国ではさらに深刻です。CFPB(消費者金融保護局)という金融トラブルを扱う機関への苦情は、2024年の320万件から、2025年には660万件へと増加しました。なんと5倍です。
同じような急増は、ブラジルの裁判所への申し立てや、ドイツの議会への請願でも見られています。つまり、これは特定の国だけの問題ではなく、世界的な現象なのです。
なぜこんなに増えたのか?AIが文章を簡単に作れるように
理由は明確です。ChatGPTのようなLLM(人間のように文章を書けるAI)が登場したことで、誰でも簡単に行政への申請文書や苦情文を作れるようになったからです。
これまで行政に苦情を出すには、複雑な手続きや専門的な言葉を理解する必要がありました。そのため、本当は困っていても、申請をあきらめてしまう人が多かったのです。ところがAIを使えば、自分の状況を入力するだけで、きちんとした申請書を数分で作れます。
英国の住宅オンブズマンには、特定の条項を引用し、苦情処理規定を参照した、非常に詳しい苦情が届くようになりました。これらは明らかにAIが書いたものです。中には「成功報酬型」の弁護士事務所がAIで事前審査した案件も含まれています。
つまり、AIによって「申請のハードルが下がった」ことが、この急増の最大の原因なのです。
正当な申請か、スパムか?見分けるのが難しい
ここで難しい問題が出てきます。AIが作った申請の中には、本当に困っている人の正当な申請もあれば、悪質なスパムもあるのです。
米国のCFPBによると、クレジット修復業者(信用情報を改善すると謳う業者)が、AIを使って大量の異議申し立てを生成し、システムを詰まらせようとしているケースがあります。これは明らかに悪質です。
一方で、これまで泣き寝入りしていた人が、AIの助けを借りて初めて声を上げられるようになったケースもあります。たとえば、英語が苦手な移民や、法律用語に詳しくない高齢者が、AIのおかげで正当な権利を主張できるようになったのです。
英国の住宅オンブズマンは「内容で判断すべきであり、AIが書いたという理由だけで却下してはならない」と明言しています。AIで書かれた申請を自動的にスパム扱いすると、それ自体が不適切な処理として問題になる可能性があるのです。
行政はどう対応している?本人確認を強化
この問題に対して、行政機関も対策を始めています。米国のCFPBは2026年、システムを大幅に見直しました。
新しいルールでは、以下のような対策が導入されています。
- 2要素認証の義務化:パスワードだけでなく、スマホへの確認コードも必要に
- 本人確認と住所確認:申請者が実在する人物かどうかチェック
- 標準的な異議申し立て手続きの利用を優先:いきなり行政機関に来るのではなく、まず通常の窓口を使うことを求める
- 真実性の宣誓:申請内容が嘘でないことを本人が保証する必要がある
これらの対策により、悪質なスパムは減ることが期待されます。ただし、正当な申請者にとっても手続きが面倒になるという副作用もあります。バランスが難しいところです。
日本への影響は?まだこれからだが備えが必要
では、日本ではどうでしょうか?現時点では、日本の行政機関で「agentic flooding」が大きな問題になったという報道はありません。しかし、いずれ同じ問題が起きる可能性は高いと考えられます。
日本では、デジタル庁が2026年5月から約18万人の政府職員によるAI活用の大規模実証を進めています。また、浜松市や徳島県など、地方自治体もAI導入の補助金制度を設けています。つまり、行政側がAIを使う動きは活発なのです。
一方で、市民側がAIを使って行政に申請や苦情を送るケースは、まだそれほど多くないようです。しかし、ChatGPTなどのAIツールは日本でも広く使われ始めています。英国や米国で起きたことは、時間差で日本でも起こる可能性が高いでしょう。
総務省と経済産業省は、AIエージェントの責任問題についてガイドラインを更新する準備を進めています。AIが引き起こした損害の責任を誰が取るのか、という問題は企業だけでなく行政にとっても重要です。今後、日本の行政機関も「agentic flooding」への備えを検討する必要があるでしょう。
まとめ
- AIが行政窓口に大量の申請を送る「agentic flooding」が世界11カ国で確認された
- 英国では苦情が2.7倍、米国では5倍に急増し、行政の処理能力を超えている
- 正当な申請とスパムが混在しており、見分けるのが難しい
- 米国では本人確認の強化などの対策を導入したが、副作用もある
- 日本でもいずれ同じ問題が起きる可能性が高く、早めの備えが必要
AIは市民が行政サービスを利用しやすくする一方で、行政の処理能力を圧迫するという新しい課題を生み出しています。この問題にどう対処するかが、これからの行政のあり方を左右することになりそうです。